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〈その16〉作品展で気持ちに変化

 会社勤めをして店舗のデザインを担当していた頃、オープンまでは毎日通うのに、完成すると次の現場に移ってしまい、実際のお客さんの反応を見られないことを歯がゆく感じていました。辛口の意見も、喜びの声も、じかに聞いてこそ、次のものづくりにつながると思っていたからです。
そんな疑問があったので、直接お客さんの表情が見られたり、感想を聞かせてもらったりできる展覧会の1週間は、充実した日々でした。だからといって「これからは画家になるぞ」とは思いませんでしたが、仕事の一つとして「作品」を描くことがあってもいいのかな、と考えるようになりました。
僕は「画家」というのは、絵を売るというよりも、表現したいものがまずあって、「できたから、世に問うてみる」という姿勢の人たちだと思っています。僕には、どうしても突き詰めたいテーマが先にあったわけではありませんでした。どちらかと言えば、絵を描き、印刷した商品を、多くの人に手にとってもらえたらいいと思っていました。
しかし、作品を発表するようになり、それだけで良いのだろうかと考えるようになりました。自分に何か表現したいものがなければ、一時的に気に入ってお金を出してもらえたとしても、飽きられてしまうだろう。後に残らない薄っぺらい仕事ではだめだ、と思うようになったのです。




〈その17〉「笑顔」をテーマにする

 これまでの仕事を振り返り、僕の伝えたいことって、何やったんやろうと考えました。僕の絵を見て「かわいい」と言ってくださる方は多い。でも、自分よりかわいいものを描いている人は、なんぼでもおる。それ以上の何かは、何か――。
それが「笑顔」でした。
僕は、僕の絵を見た人に、にこっとほほえんだり、くすっと噴き出したりしてほしい。「人を喜ばせたい」というサービス精神が旺盛なのは、僕が大阪の下町で育ったこともあるかもしれません。ともかく、これからははっきりと笑顔をテーマにするんだ、と決めました。以来、どんな大きさの作品にも、どこかに「I wish you are always smiling.」(あなたがいつも笑顔でありますように)と書き入れています。
10年あまり「笑顔」をテーマにしてきましたが、その意味合いは自分の中で、少し変わってきました。
ある展覧会で、一人の女性に出会いました。20代とおぼしき彼女は、1時間近くも動かずに、一枚の絵を見ていました。雨が降る中、熊が、モグラか何か、小さな動物に傘を差し掛けてあげている絵だったと思います。
僕は、会場に来てくれたお客さんに積極的に話しかけることはありません。もちろん、声をかけてくださったらお話ししますが、みなさんの表情を見ているのが楽しいのです。でも、彼女には何となく、声をかけてみました。




〈その18〉救われた…言葉頂いて

 彼女は、両親をなくされたばかりだと言いました。僕の絵に、思い出と言ってよいかどうか、家族の物語を見ていたのだと思います。
ほかにも、幼い子をなくした若い夫婦が、悲しみの底にいたときに僕の絵に出会い救われた、とメールをくださったこともありました。
そんなふうに、直接会ったことのない方も含めて多くの方からメッセージを頂きました。身近な人の中にも、いつも明るい接客でお客さんを喜ばせているけど、話を聞いてみたらすごく苦労している、という子もいました。
みんな、つらいそぶりは見せないだけで、精いっぱい生きているんだと気づかされました。接客の上手な彼女の笑顔も、悲しみを乗り越えて生まれたものでした。
だから、僕は「笑顔」をテーマにした絵のなかに、「がんばってくださいね」の気持ちも込めています。
僕は、趣味ではなく仕事として絵を描いていますから、長いこと、お金にならない仕事はしませんでした。それを、いっぺんに変えたのが東日本大震災でした。あの時、みんなが「何かしなきゃ」って思った。僕もそうでした。
いてもたってもいられず、売り上げの一部を義援金として贈る復興支援のステッカーをつくりました。そこには「あなたが笑顔でありますように」のメッセージとともに、こう書き入れました。
「With us!」(一緒にいるよ)




〈その19〉被災地で「ライブ」贈る

 東日本大震災の翌年、宮城県女川町で保育園の子たちを前にライブペインティングをしました。津波で800人以上が亡くなったり、行方不明になったりした町です。
ライブペインティングというのは、観客の前で大きな白いキャンパスにアクリル絵の具で絵を描くパフォーマンスです。
はじめは、2002年に開いた展覧会の会場で、もっと大きな作品を1日かけて描きました。さすがに、翌日は全身が筋肉痛で起き上がれませんでした。腕を動かし続けたこと以上に、見つめ続けられる緊張が大きかったです。
プレッシャーはありましたが、下書きもせずに描き進める、それを興味津々で楽しんでもらえるのは、僕にとっても楽しいことでした。今は年に数回、各地で行い、1・8メートル四方の作品を1時間半ほどで仕上げます。
女川町での話を頂いたとき、果たして僕が出かけていって役に立つのかなと、ためらう気持ちもありました。震災から1年以上たっていましたが、目にした景色には言葉もありませんでした。
小さいお客さんが飽きないか心配でしたが、歓声を上げながら見ていてくれました。完成した絵は、新しくできた図書館に飾られています。




〈その20〉作品のアニメ化 夢見て

 動物の絵をたくさん描いているので、よく「動物園でスケッチしたりするのですか」と尋ねられますが、ほとんどしません。写実性はあまり必要ではなく、象が象に見えたらよいからです。
同じように小さな子の絵も何となく描いていましたが、自分に子どもができてから「イラストの子の足の太さが変わった」と指摘されました。度々「生活感がない」と言われますが、中学生の娘と保育園に通う息子がいます。子育てをしてみて感触やかたちを実感したことが、無意識に反映されたのでしょう。
子どもたちと話すときには、知らず知らず身をかがめて目線を合わせていたのも発見でした。象や豚など大きな動物と、蜂などの小さな生き物を一緒に描くことが多いのですが、大きい方が背を曲げたり、小さい方に風船を持たせ宙に浮かせたりして目線を合わせるようにしているのは、そんな経験からです。
「ポストカードを売りたい」「植木鉢に絵を」「絵本を出そう」……小さな夢を一つずつかなえてきました。次は、自分の絵をアニメーションとして動かしたいと夢見ています。そして、一人でも多くの人に「笑顔」を届けられたらいいな、と思っています。(おわり)